堂々巡りの午後

 

外のベンチで本を読んでいたら、これまでの色々のことが思い返されてきてしんどくなってきた。

 

ひとりしんどくなってきちゃったけれど、色々のことがすべてのひとにあって、それは大概表には出されていないけど、あるのだよな。

 

そしてそれは表に出すべきものではないよな、出したところで物事は好転しないから。でもそれを、誰かに分かってもらいたい、と密かに願ってしまう。少なくともわたしは。

 

しばらくしてほかのことを考え出した。

ピラミッド型の何かを思い浮かべる。それは私たちの各々の精神。構造的な。

 

人間関係の基本はピラミッドの上層部でのかかわりなのだ。小手先遊びみたいなものを、どれだけ楽しめるかが、大切なんだろうな。

 

というのも、読んでいた本が、人の深部を照らしたもので、なんか、各人にこのような深まりがあるのかと思うと、怖くなってきた。できれば知りたくないし、わたしも知ってほしくない。でも、ちょっと知りたい気もするし、時々わたしも知らせたくなる。矛盾の中を生きている。とまあ、そのようなことで、基本は知らない方が幸せな気がして、小手先遊びを楽しみたい、と思うようになった。

 

そして改めて思った。小説って、小説家って恐ろしい。人の深部への洞察力…。そうも痛いとこつかないでくれ…。同時に小説沢山読んでる人も脅威。色々を小説を通して間接的に知り、そのような感性でみずからの周りの色々を直接的に感じるようになるのでしょう。既にそのような感覚はあったけど、言語化されて初めて意識するようになったということもあるだろうけど。とはいえ、一概に読書家といっても、何を読むかによってもそこのセンサーは全く変わってくるだろう。みんながみんな、鋭い感性で人をジャッジしてるとは限らないだろうけど、とはいえ、今のわたしにとっては恐怖です。頼むからわたしについて何も思わないで。

 

このようなことを考えてると、小説なんかに興味ない真っさらなスポーツマンが1番健康的で近寄りやすいように思えてくるよ。スポーツマンじゃないにしても、真っさらなのが1番だ。とはいえ真っさらなんてものはこの世にあり得ないのも分かってる。ここで最初の人にはそれぞれの色々が…とふりだしに戻る。

 

きっと考えたってしょうがないことなんだろう。だけど考えてしまうのは、わたしが今悠久の時のような、時間を過ごしているから。暇は良くない。定年退職したじじばばの頭の中、絶対カオスだろ。はー