堂々巡りの午後

 

外のベンチで本を読んでいたら、これまでの色々のことが思い返されてきてしんどくなってきた。

 

ひとりしんどくなってきちゃったけれど、色々のことがすべてのひとにあって、それは大概表には出されていないけど、あるのだよな。

 

そしてそれは表に出すべきものではないよな、出したところで物事は好転しないから。でもそれを、誰かに分かってもらいたい、と密かに願ってしまう。少なくともわたしは。

 

しばらくしてほかのことを考え出した。

ピラミッド型の何かを思い浮かべる。それは私たちの各々の精神。構造的な。

 

人間関係の基本はピラミッドの上層部でのかかわりなのだ。小手先遊びみたいなものを、どれだけ楽しめるかが、大切なんだろうな。

 

というのも、読んでいた本が、人の深部を照らしたもので、なんか、各人にこのような深まりがあるのかと思うと、怖くなってきた。できれば知りたくないし、わたしも知ってほしくない。でも、ちょっと知りたい気もするし、時々わたしも知らせたくなる。矛盾の中を生きている。とまあ、そのようなことで、基本は知らない方が幸せな気がして、小手先遊びを楽しみたい、と思うようになった。

 

そして改めて思った。小説って、小説家って恐ろしい。人の深部への洞察力…。そうも痛いとこつかないでくれ…。同時に小説沢山読んでる人も脅威。色々を小説を通して間接的に知り、そのような感性でみずからの周りの色々を直接的に感じるようになるのでしょう。既にそのような感覚はあったけど、言語化されて初めて意識するようになったということもあるだろうけど。とはいえ、一概に読書家といっても、何を読むかによってもそこのセンサーは全く変わってくるだろう。みんながみんな、鋭い感性で人をジャッジしてるとは限らないだろうけど、とはいえ、今のわたしにとっては恐怖です。頼むからわたしについて何も思わないで。

 

このようなことを考えてると、小説なんかに興味ない真っさらなスポーツマンが1番健康的で近寄りやすいように思えてくるよ。スポーツマンじゃないにしても、真っさらなのが1番だ。とはいえ真っさらなんてものはこの世にあり得ないのも分かってる。ここで最初の人にはそれぞれの色々が…とふりだしに戻る。

 

きっと考えたってしょうがないことなんだろう。だけど考えてしまうのは、わたしが今悠久の時のような、時間を過ごしているから。暇は良くない。定年退職したじじばばの頭の中、絶対カオスだろ。はー

 

朝のカルチャーショックごはん

 

朝、学食で。

 

ミスコングランプリの人が、てんこ盛りの紫玉ねぎの上に少しのブロッコリーをのせたサラダ、と、朝食バイキング用の焼きそばどっさりにからあげを添えた皿、をおぼんの上にのせてるのを見てしまったとき、わたしの好奇心が騒ぎ出した…。

 

 

字面だけでは絶対に伝わらないとは思うが、端的にいえば異様でした。偏りが過ぎているし、朝ごはんとは思えない量。なにか、強い意志を感じさせる趣きがありました。

 

人様が何を食べようが、誠に勝手だけども、どうしても気になってしまう。なぜなら食べ物の選択にも、その人が現れると思ってるから。中にはお腹が満たされればそれでいい、だから別にこだわりとかないよ、という人もいるだろうけど、それはそれで、その人の思想だし面白い。

 

なぜその選択、の部分に注目してしまうのです。だから、自分の常識内では考えつかないものに出会ったとき、単純に感動しますし、同時に興味深く観察します。

 

実は、ミスコングランプリの人は、前々から気になる存在でした。ちょっとヤバイ人なんじゃないか、と、変な意味ではなく、感じていました。変な意味ではない、というのは、決して上から目線で、冷笑的に、という訳ではなく、ニュートラルな立場で、ただそう感じたということです。具体的にどうヤバイのかは省きます。

 

朝の目撃は、その感覚が、確信に変わった瞬間だったのです。

 

この人やっぱり、突き抜けてるぞ、と。

 

そしてわたしは、自分の選んだおかずに目を落として、思うのです。なんて面白くない選択なんだ。「栄養のバランス良く」、「健康志向」ど真ん中で選んだメニューは、わたしにとっての普通ではありましたが、ミスコンの手前、自分の平凡さにほんの少し落ち込みました。

 

 

"突き抜け人(びと)羨望症"